風土を知る

彼岸花が咲く島(著:李 琴峰)-更新されるカテゴリー

2021年、第165回芥川賞を受賞した本作品。挿画にある島の地図から察するに、恐らく舞台として与那国島をモチーフにしているのではないかと思います。(そう考えると前年の『首里の馬』に続き、2年続けて沖縄が舞台の小説が芥川賞を受賞したんですね!)
日本語が母語ではない作者の方が受賞したのは2人目ということでも話題になりました。

ある日島の彼岸花が咲く海岸に主人公の少女が流れつきました。少女は流れ着く前の記憶を失っており、自分の名前もどこから来たかも分かりません。その島はノロの女性が治めていて、少女には分からない言葉も話されていました。大ノロは少女に島に残り続けるには責を担う一員=ノロになるように、と条件を出します。主人公は、彼女を海岸で発見した島生まれ・育ちの少女とともにノロを目指して修練し・・・というのがあらすじです。

この小説の特徴的なところは、3種類の言語が出てくるところです。
どうやら島の外では戦乱があり、漢字・漢語が排除された「ひのもとことば」の使用が義務付けられていたようで、主人公の少女はもともと「ひのもとことば」を使用していました。
これに対して島の中では沖縄の方言・イントネーションと中国語がミックスされたような「ニホン語」が口語として使われています。またノロになるために習得が必要で女性にしか教えられない「女語」も登場しますが、これがいわゆる”標準語”に近いものになります。(「女語」は漢字・漢語+「ひのもとことば」なので、主人公の少女にとっては比較的習得しやすい言葉でした。)

言葉の他にも、ノロが為政者で女性でなければならない、血でつながった家族を作らない、など、いわゆる”普通”とされていることとは違った社会が営まれています。

著者によると、本作はジョージ・オーウェルの『1984』と陶淵明の『桃花源記』を下敷きにしていて、いわばディストピアとユートピアの隣りあわせを舞台背景にしているのだそうです。
外界から遮断され大ノロを頂点とした祭祀的ヒエラルキーで島の秩序が守られているところは、確かにディストピアとユートピアの二面性を帯びていると言えるでしょう。
現実に引き付けてみれば、島(だけに限りませんが)の人と人の繋がりの濃さにも通ずる二面性かもしれません。

それでも主人公とその相棒の2人の少女が、どうなるか分からない未来に怯えすぎず踏み出していこうとするエンディングからは、既存のカテゴライズや固定観念は超えられるものなのだ、という著者からのメッセージを読み取ることができます。


実は現実の与那国島でも、島の言葉が消えゆくことに危機感を抱きながら表現を続けている方がいます。言葉は独自の仕方で世界を認識するオンリーワンのツールであり、言わずもがなアイデンティティの重要な一部です。

さらに今の与那国島には自衛隊の基地もできて、島以外の場所を守るための前線として「侵入」されてもいます。

3種の言葉を駆使してカテゴライズを問い直すこの小説は、ファンタジーであると同時にとてもリアリスティックでもあると感じました。
島の内側から外を、世界を、捉え直す視点を体験するきっかけに、よければぜひご一読ください。

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